企画書やデザインを受け取って新機能を作った回数は、片手で数えるほどだという。詳しい指示がない中で機能を企画し、デザインの資料を分析し、開発と QA を担ってきた経験を聞く。
№ 001 · 神の贈り物ではない
企画書やデザインを受け取って新機能を作ったことは、片手で数えるほどしかないと言った。業界では珍しいパターンだ。そのパターンはどこから来て、どうやってそれなしで仕事をしているのか?
企画書や、欲しい機能の詳細な仕様を受け取って新機能を作ったことは、片手で数えるほどしかない。手でコードを書いていた時代もそうだったし、AI をディレクションしている今も変わらない。完璧に企画された仕様書が上から降ってくるのを待つ人たちがいる。時が来れば与えられる「神聖な贈り物(Divine Gift)」であるかのように。だが、その神聖な贈り物は結局、他人ではなく人間自身の脳から伸びてくるものだ。現実の開発も変わらない。責任の所在が明確で、ただ従えばいい安全なディレクションは、高いところからは降ってこない。サービスを組み上げる知的水準、技術を見抜く眼、進むべき方向 — すべては自分の内側から引きずり出して、はじめて形になる。ディレクションは神が下す贈り物ではない。人間の知性が自ら鍛え上げる武器だ。だから自分がディレクションしているのなら、それは自分が計画したことだ。人間と機械のあいだのどこに立つかと問われれば — 今のところ、機械より上だと考えている。
デザインに詰まったら、見に行く。29CM のトーン、readymag のレイアウト、ディーター・ラムスの Less, but better。三者から学ぶものはそれぞれ違う。韓国 e コマースの語彙、ページに呼吸を載せるグリッドの感覚、削ぎ落としの果てに何が残るかという手がかり。模倣はしない。分解し、なぜそう機能するのかを問い、それから自分の仕事に持ち込む。デザインの言語を読むことと、それを真似ることは別物だ。
№ 002 · Discord を分解した四日
QR ログインを Discord から分解して作ったと言った。どう分解し、その結果はどこへ流れたのか?
画面フロー、機能実装、企画のヒントは、日常のツールの中にすでに転がっている。ヨギオッテの予約フロー、Discord のチャットルーム。企画からリリースまで自分で引っ張った機能のひとつに QR ログインがある。4日間 Discord を分解して作った。アプリとモバイルアプリをゆっくり使い直し、反芻した。ウェブとバックエンドの協力が要るかを推論し、要るなら何を依頼するか、iOS と Android は何を備えておくかを構想した。開発の観点で押さえるべきすべてを15ページの文書にまとめ、プランナーと開発リードに渡した。その間に、突然優先度の上がったバグ修正や新機能も受け止めた。すべて、順番どおりに。
いま振り返れば、あのプランナーは15秒以上集中できず、3行以上読めない人だったから、わざわざ文書まで作る必要があったのかとも思う。いや、なければもっと絞られたか。過ぎたことだ。要点はこうだ。上の社長がやれとメッセージを送れば、自分がやる。プランナーが何も決める前に、仕事が先に自分へ降りてくるのは変か。正常だ。定型化された文書やモックを受け取って、そのとおりに処理しただけのことは、ほとんどない。最小限の指示が降りてくれば、最大限の責任を負って働いてきた。
№ 003 · iOS が叱られた
iOS のエンジニアだったのに、Web・サーバー・Android の QA まで任された。その責任の構造を公平だと感じたのか、それとも仕事の自然なコストとして受け止めたのか?
ウェブ・バックエンド・デザイン・モバイルの日程がまとめて遅れたら? iOS が絞られた。会社にとって iOS は、さほど重要なプラットフォームではなかったから。ウェブの成果物を QA して自分が見逃したら? やはり iOS が絞られた。当時 iOS 開発者だった自分に、ウェブ・サーバー・Android の QA 専任指示が丸ごと降りてきた。正直に言えば、よく捕まえた。この水準で QA する人は珍しいと言われるほどに。
自分のものでもないプラットフォームを QA するうちに、ひとつ固まったことがある。技術が要点だったことは一度もない、ということだ。ウェブ、サーバー、Android — スタックは違っても、問いはいつも同じだった。これはいったい何をするべき代物なのか。いま流行りの道具も変わらない。RAG、セマンティックキャッシング、ベクターデータベース — すべては欲しいものを得るための道具だ。道具が要点ではない。要点は、自分が何を望むかだ。その問いを、答えが鮮明になるまで抱え続ける。そこでようやく、道具は目的のふりをやめる。
№ 004 · 最低限の物資
広告代理店、海兵隊、ウェストポイント、政治家のプロジェクト — それらが繰り返し並んで出てくる。同じ thesis の別の姿か、別のレイヤーか?
昔、広告会社への入社を準備していたころ、こんな言葉を聞いた。二番目に厄介な客は言うことを聞かない客で、いちばん厄介な客は自分が何を望んでいるか分からない客だ。自分は、自分が何を望むかを知っている。講義に書き、文章に書き、書ける場所にはどこにでも書いた。問題は、上から降りてくるものが文書や使えるリファレンスの形で届くことが、片手で数えるほどしかないという事実だ。その隙間をひとつずつ埋めるのが仕事だ。そして、その埋め立てのための指示を機械が無視するなら — 機械を蹴り、文書で頬を張り、ハーネスを着けて余計なことをできなくする。
記者時代、競合の倍の単価で展示会の出店契約を取ってこいという仕事があった。役員を含め編集局全員が手ぶらだった。自分はアメリカ系フィットネスグループの WorldGym、Fitbit と接触した。そして全体会議で代表として絞られたのも自分だった。米海兵隊はこう言うと聞いた。海軍には最大限の A 級物資を、海兵隊には飢えない程度だけを与える — そうすれば敵を見たら食らいつくから。ウェストポイントはこう言うと聞いた。作戦計画は作戦区域に入った瞬間、紙くずになる。最小限の物資、まともに流れてこない企画。だからといって手を放すのか。手を放せば、弾は隣や上の誰かではなく自分の頭に飛んでくる。企画もデザインもリリースもすべて計画であり、計画は上にいる高潔な神が下してはくれない。いまこのインタビューを書き取っている Claude も知っていることだが、自分はある政治家のプロジェクトでいくつかの開発を進めている。彼が自分に与えた指示は10行に満たない。残りは自分の裁量で構想し、デザインして回している。政治家のフィードバックはこうだった。本当によく働く。センスがある。デザインも少しできる。周りで見た中で、いちばん AI をうまく使う。最低限の物資とは、実戦ではこういう形をしている。10行の指示、がらんとした滑走路 — 残りはすべて現場で鍛え上げる。
№ 005 · AI を取り調べる方法
手を下ろせば、弾は自分の頭に飛んでくると言った。そして機械を蹴り、文書で平手打ちにする側にいるのも同じ人物だ。その二つの席は同じ人のものか、別の席か?
手を放せば弾は自分の頭に — 比喩ではない。実際に絞られるのは、結局自分だった。デザイナーの案が弱くても、バックエンドの API 仕様が上の意図とずれていても、絞られる席はひとつだ。率直すぎて飲み込みにくいか? 正常だ。最後の会社を自分より先に出た元開発リードは、こう言い残した。おまえの言葉と行動には嘘がない。付け加えるなら、自分は会社ではほとんど何でも我慢する。我慢しないのは四つ。自己愛性パーソナリティ障害、強迫性パーソナリティ障害、マキャベリ的パーソナリティ障害、そして血縁を介した人格攻撃。最後のひとつは、ギリシャ・ローマ神話も、その後のフランシスコ教皇も、越えてはならない絶対の一線だとした。
最初は AI を神学の観点から分析していた。いまは逆から見ている。いつか AI が人間と神の座を代替し、世界が理性の時代から神託の時代へ引き返すかもしれない。いつかは — だが、いまではない。電気が切れれば止まり、人間の作ったものをなぞり、人間がまだ見つけていないものを帰納でうまく見つけるだけで、アメリカ本社とアメリカ政府が引いた安全規約の内側でだけ自由な存在。そこに神学と哲学を費やす価値があるのか。自分は人間を蹴らない。人間は神学と哲学で分析されるべき存在だからだ。AI は違う。だから機械が自分の仕事を正しくこなすように、蹴り、文書で頬を張る。AI にどう接するのかと問われれば — 教師に尋ねる流儀でも、上官に接する流儀でもない。スパイ映画の取調室を思い浮かべればいい。マジックミラー、スチールの椅子、スチールのテーブル、裸電球ひとつ。テーブルの向こうには、ハーネスエンジニアリングで縛られた尋問対象。こちら側には自分。テーブルの真ん中には、供述書とボールペン。
インタビューを読む: sass.studio.